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メゾンダールボネマ&ニードカンパニー - 山下残 - フォースド・エンタテインメント - ホテル・モダン - 山川冬樹 |
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【お詫び】PPAFのチラシにおきまして、原宿・VACANTの電話番号に誤りがありました。
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photo:Maarten Vanden Abeele |
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紹介:カンパニー名「メゾンダールボネマ」はメンバーのハンス・ペター・ダールとアンナ・ソフィア・ボネマの名にちなむ。ダールはノルウェーのカルト的カンパニーBaktruppenで活動後、1995年にボネマと共にLove & Orgasmを旗揚げ。音楽、美術、文学、演劇を横断する作品を次々と発表し、1999年からベルギーを代表するダンスカンパニーのひとつNeedcompanyとの共同作業を開始。特に同カンパニーの代表作『イザベラの部屋』では中心的な役割を担っている。今回初来日。 『リッキーとロニーのバラッド』ではメゾンダールボネマがテクスト、作曲、セノグラフィー、演技の全プロセスを担当。個人の幸福は技術的に実現可能というナイーヴな信念のもと、外の世界の全面的な戦争状態から自身を隔離し、幻想の世界に没入してゆくリッキーとロニーの象徴的物語を、「歌による異化効果、新たな声域の探求、概念を提示する特異な方法」を通して語るオルタナティヴな「ポップ・オペラ」。 劇評:「彼らはセックスを生殖から切り離した最初の世代である。」(『Etcetera』2008年1月号) 「外の世界では戦争が大いに進行しているというのに素朴にも個人的な幸福の実現に没頭するこの二人は、現代の生活のあり方を体現している。」(Robert Steijn) 続きはこちらで。 |
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![]() photo:AI HALL |
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『せきをしてもひとり』は2004年に初演され、その後作家自身による破壊と再構築を積み重ね、今回改めて新作として提出される。「ダンスの戯曲化」の試みとして自由律俳句を導入し、その呼吸=「せき」をダンスの通奏低音とし、読解のプロセスが身体表現と等価になる作品。詩が身体から吐き出されるものだとしたら、その詩から吐き出されたものを身体に送り返すことも可能であろう。詩とはそうした読解を待ち望むものではなかったか。初演時にはジャズの名曲が意表をつくやり方でテクスト、身体と拮抗するかのように用いられ、山下残はダンスにおける音楽の「読解」の第一人者でもあることがすでに証明されている。詩句は漂泊の俳人、尾崎放哉によるもの(タイトルはその詩句のひとつから取られている)。 |
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![]() photo:Hugo Glendinning |
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| フォースド・エンタテインメントは、劇作家/演出家/俳優/ヴィジュアル・アーティストのティム・エッチェルスを中心に、イギリス中部の工業都市シェフィールドを拠点に活動。実験的作品を20年以上に渡って欧州各地で発表し続けており、「イギリス最高の前衛劇団」(『ガーディアン』紙)と評され、大英図書館には上演資料のアーカイヴが作られている。第2回PPAF(2006年)で初来日、『忘却のためのインストラクション』で好評を博した。 『視覚は死にゆく者がはじめに失うであろう感覚』は、エッチェルスが ニューヨークの前衛劇団ニューヨーク・シティ・プレイヤーズ(リ チャード・マクスウェル主宰)の俳優ジム・フレッチャーのために書き下ろしたモノローグ。世界のあらゆる事物をひとつひとつ言葉で定義しようとするかのようなスピーチ・アクトが、極限的にシンプルながらも演劇への本質論的、原理主義的アプローチとは無縁の簡素な無謀さで進行する、現代の百科全書。 |
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![]() photo:Hugo Glendinning |
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| 『Quizoola!』はエッチェルスが作成した2,000項目の質問を自由に使用し、3人の俳優が2人ずつ交代で質問者と回答者を担当、即興で繰り広げる6時間のQ&Aパフォーマンス。「質問者は質問し、回答者は回答する」という単純なゲームの規則のもと、知識と言語能力のみならず俳優としての力量、人間としての器量までもが絞り尽くされる地獄のクイズ・ショー(同時通訳つき。観客は上演中いつでも会場出入り自由 途中入場可能)。 | |||
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photo:Herman Helle |
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| ホテル・モダンはアルレーヌ・ホーンヴェグとポーリーヌ・カルカー(演出家/俳優)、ヘルマン・ヘレ(模型作家/パフォーマー)が1997年に設立したカンパニー。様々な手法を導入し、とりわけ模型を効果的に使った舞台作品を発表している。今回初来日。 『KAMP/収容所』は、第一次大戦と近代兵器の誕生というテーマを扱い国際的に評価された『The Great War』(2000年)の手法と主題をさらに押し進めたもので、舞台上に設置されたアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の巨大な模型の中をメンバーが動き回りながら、数千体のパペットを操作し絶滅収容所の実相を「演じさせ」、その様子を小型CCDカメラで撮影しリアルタイムでスクリーンに投影する人形劇/ライブ・アニメーション(ポーリーヌ・カルカーの祖父はアウシュヴィッツで亡くなっている)。人形使いは舞台上にいないものとするという人形劇の申し合わせを排し、仕掛けが完全に可視的なものになっているこの作品は、計画的集団虐殺の再現可能性/不可能性という倫理的問いと現代芸術の関係の歴史に、新たに「縮尺」の概念を導入する。 |
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自らの「声」と「身体」をプラットフォームに、音楽、美術、舞台芸術など、様々な分野の境界を超えて活動。電子聴診器を用いたパフォーマンスでは、心音をベースアンプによって増幅、さらに心拍の速度や強さを意図的にコントロールしながら、そのパルスを光の明滅として視覚化。2003年、ロシア連邦トゥバ共和国で開催された「ユネスコ主催第4回国際ホーメイフェスティバル」にて「アヴァンギャルド賞」を受賞。2006年から2年連続でベネチア・ビエンナーレのパフォーマンス部門に招聘され,2008年の釜山ビエンナーレでは映像インスタレーション作品を発表。主なパフォーマンス出演作品として、川口隆夫とのコラボレーション作品『D.D.D.』、飴屋法水×山川冬樹パフォーマンス(「HARAJUKU PERFORMANCE+Special」、ゲスト:嶋田久作・ラヴェルヌ拓海、衣装:高橋盾)、『4.48サイコシス』(サラ・ケイン作、飴屋法水演出)などがある。 「髪は美しい」風になびき、水のように流れ、肉体の誘惑とは異質のエロスを醸す。 「髪は愛する」かつて女たちは愛する人に髪を切って捧げ、今日では愛した人を忘れるために髪を切る。人は愛する者を亡くすと、腐らずに遺るその髪を形見として保存する。 「髪は恐ろしい」乱れた髪はまるで手に負えぬ意志をもった生き物のようである。また肉体の一部でありながら、あらかじめ死んだ無機物のようでもある。その一方で、男たちは年齢とともに頭の髪を喪失することに恐怖する。 不思議なるもの「髪」…それは得体の知れぬものが今でも棲みつく最後の森。髪が映し出すエモーションと、そこに埋もれた記憶をテーマに、超長髪のホーメイ歌手、山川冬樹が繰り広げる、コンサート・パフォーマンス・展示・儀式が渾然一体となった特別な一夜。再演は、禿げてなければ十年後。 |
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「平成21年度文化庁国際芸術交流支援事業」 主催・制作:国際舞台芸術交流センター 制作協力:日本パフォーマンス/アート研究所 プロデューサー:丸岡ひろみ・小沢康夫 助成: 共催:ブリティッシュ・カウンシル/後援:オランダ王国大使館 ベルギー王国大使館/協力:株式会社ワコールアートセンター Vacant |
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