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(…)今日では、愛はもはや舞台に適したテーマではないということになっている。それは露骨すぎ、官能的すぎ、感覚的すぎるということになっている。知的な芸術愛好家や政治的闘士の役には立たないし、甘ったるいあるいは血なまぐさいロマンティックな紋切型に陥る危険がある。現代の演劇人は、よほどのことがない限り愛というテーマに取り組もうとは思わないだろう。(…)しかし時にはこの挑戦を受けて立つ演劇人が現われる(…)

(…)アンナ・ソフィア・ボネマとハンス・ペター・ダールはほぼ何もない舞台に立ち、伴奏はシンプルなリズムボックスのみである。このポップ・オペラからは、ロックン・ロールの熱狂的なイノセンスやパトス、究極の解放への信念といったものはほとんど聴き取ることはできない。歌は単調に歌われ、観客は我を忘れることはできない。二人の主人公は、リズムボックス・オン、リズムボックス・オフといった具合に、決められた進行表に従って演じる。音は機械的であり、声は抑制されフラットである。ロックのマッチョさやアドレナリンはここにはない。あるのは本質のみである。二つの声、一つのリズム。これが倦怠、欠如、静かな絶望のありきたりさにおいて、容赦なく進行する。

だからといって『リッキーとロニーのバラッド』がつまらない作品だというのではない。この作品はメランコリーであるが、ただあらゆるパトスが排除されているのである。二人のデュエットはニコとレナード・コーエンの間のどこかに、鬱積しつつ位置する。(…)二人の出演者の抑制された演技と、ロックの要素を徹底的に鈍重にするという決断が、この作品を極めて力強いものにしている。すべての歌が記憶をにじませるが、同時に信念の欠損をも表現する。リッキーとロニーは時代の子だ、と人は思うだろう。彼らは宗教や政治に救済を求めたが、それほど真剣でもなかった。信念や自然に救済を求めたが、それほど本気でもなかった。彼らはセックスを生殖から切り離した最初の世代である。

(…)これはイデオロギー、政治的信念、哲学的おしゃべりへの喪ではない。そうしたことは語られていない。そうではなくて、これは人間の生活を形成してきたもっとありきたりの信念、つまり自由の信念、あらゆる境界を開放するものとしてのセクシュアリティの信念、そして、そう、愛の信念への喪なのである。彼らはまだ互いを信頼しているかもしれないが、この絆が彼らを外部の世界から守ってくれるとはもはや信じていないのである。

『リッキーとロニーのバラッド』は現代の愛の物語である。これは失われたイノセンスの物語、雪のように舞いさまよう人間たちの物語である。雪のように建物から落ちてゆく人間、これは誰もが決して忘れないであろうツインタワーのイメージのひとつである。しかし『リッキーとロニーのバラッド』においては、それらの身体はいつまでも地面に激突しないままなのである。(…)

(『Etcetera』2008年1月号)

   

アンナ・ソフィア・ボネマとハンス・ペター・ダールは彼らの分身、リッキーとロニーに扮して歌う。外の世界では戦争が大いに進行しているというのに素朴にも個人的な幸福の実現に没頭するこの二人は、現代の生活のあり方を体現している。それは新たな中産階級の精神構造であり、その限界は閉じたドアの向こう側で起こっていることによって規定されているのだ。彼らは自分たちがあらゆる権利を持っていると思っており、人生が思わぬ道をたどりはじめると、それを受け入れがたい不正であると感じる。そこで彼らはむしろ、その中ではまだすべてが許されているような幻想の世界に逃げ込む。想像力は極限まで肥大する。

リッキーとロニーの語りには知的反省が入り込む余地はない。頭に浮かんだことをすべてそのまま歌う彼らは、現在性にのみ生きており、したがって心に悪をいだくこともない。しかしこの検閲なきミュージカルは安堵を与えない。逆に、歌えば歌うほど彼らは現実を見失い、混乱した心と精神の嵐に巻き込まれてゆくのである。究極的には、彼らは自身の狂気に危険なまでに近づき、彼らの相互不理解は増大するばかりである。しかし引き返すことはできない、そして彼らは歌いながら逸脱した世界へと入り込んでゆく。(…)

互いに近づくことが不可能で、それぞれがそれぞれの幻滅と欲求にとらわれているにも関わらず、リッキーとロニーの間にはある程度の愛がまだ存在しているように見える。それが成就することはもはやないのだが。かつて発された「誓います」という言葉によってつなぎとめられてはいるが、彼らはそれがなぜだったのかを忘れて久しい。彼らの対話は歌による口論という形にはまりこんでいる。彼らの関係は当面の間は外の邪悪な世界に対する防壁として機能するが、腐敗は土台に、倒錯に、苦悩の空洞にすでに入り込んでいるのである。

こうしたすべてはアンナ・ソフィア・ボネマとハンス・ペター・ダールによって痛烈に演じられる。はじめのうちは倒錯したソープオペラのようだった状況が、次第に彼らの精神の幻覚的な表現へと以降してゆくにつれ、私たち観客は彼らのことが心配になってくる。かつてないほど複雑で、ぶっきらぼうであるかと思えば繊細、シニカルかと思えば優しく、粗野かと思えば詩的な台詞は、明らかにこうした効果に寄与している。音楽もまた、同じようにとらえどころがなく、魅惑的である。(…)

(Robert Steijn)

 

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メゾンダールボネマ&ニードカンパニー
(MaisonDahlBonnema & Needcompany)
『リッキーとロニーのバラッド』
("The Ballad of Ricky and Ronny")

2010年1月16日(土)開演19:00
2010年1月17日(日)開演17:00
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山下残『せきをしてもひとり』("It’s just me,coughing")

2010年2月8日(月)開演19:30
2010年2月9日(火)開演19:30
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フォースド・エンタテインメント『視覚は死にゆく者がはじめに失うであろう感覚』
("Sight is the Sense that Dying People Tend to Lose First")

2010年2月10日(水)開演19:30
2010年2月11日(木・祝)開演18:00
2010年2月12日(金)開演19:30
原宿・Vacant/map

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フォースド・エンタテインメント
『Quizoola!』("Quizoola!")

2010年2月13日(水)13:00-19:00
原宿・Vacant/map


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ホテル・モダン『KAMP/収容所』("KAMP")

2010年2月20日(土)開演19:00
2010年2月21日(日)開演17:00
青山・スパイラルホール(スパイラル3F)/map


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山川冬樹『黒髪譚歌』("BlackHair Ballad")

2010年3月28日(日)開演17:00
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